父の闘病生活

2年前の4月に、乾いた咳が続くと言うことであれこれ検査
結核の疑いもあるとかで5月の連休は実家に帰れず長野で過ごした。
5月末に尿管の辺りに癌がみつかり、転位も見られる。
既にステージ4で手術は無理と言うことで、抗がん剤治療を6月から開始
2ヶ月入院して1ヶ月退院してまた2ヶ月
ひどい吐き気等は見られず、病院内でも常に歩き回っていたようなので、通院にすれば良いのにと思ったくらい。
11月末に退院したものの、やはり完全に癌は消しきれなかった。

年末年始は穏やかに過ごしたが、1月中旬辺りからお腹のあたりの痛みを訴えだして、真っ直ぐ立って歩くのもままならないようであった。

2月末からガンセンターでキイトルーダによる抗がん剤を開始すると、効いているようで、ゴールデンウィークに長野に旅行に来たときにはゆっくりではあるが、しっかりと歩いていた。

しかし、7月辺りから肩が上がらないと言う事象が現れ、肩の痛み等で横になることが増えていった。
この頃から放射線治療を開始

それでも畑仕事をする辺りは、父らしいと言うか。
夏に汗だくになりながらオリーブの木の剪定をして、落とした木を父と母が一生懸命縛っていたのは、非常に良い思い出。

9月辺りからはモルヒネのような痛み止めを投入して、緩和療法に切り替え。
これでもやはり痛みは完全には引かないようで、やはり横になっている時間が大半
11月の採血検査の結果がよくなかったようで、輸血を実施
しかし、輸血以降体調が一気に悪くなり、一時入院をする
今となると、この入院が、非常に良くなかったのか、入院中は寝たきりとなっており、帰宅してからも寝たきりになり、12月からは介護ベッドによる寝たきりとなってしまった。
それでもトイレは行って、食事も一緒にテーブルで食べていた。
しかし、年末には食事もベッドで行うようになり、トイレに行くのもベッドから自力で起きれなくなってしまった。
なくなる二日前に、いよいよ二人がかりで抱えないとトイレに行けなくなってしまったので、パットをあてはじめた。
そして、亡くなる日の朝、クスリを飲ますために起こそうとしても目を開けず。
熱が39℃を越えていたようだが、血中酸素が異様に低い状態とのこと。
その2時間後に安らかに眠りについた。

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この2年の闘病生活、本当お疲れ様でした。
自分は父の子供で本当に良かったです。
願わくば安らかにお休みください。
そして、生まれ変わるなら、また私の父でいてください。